堀川を清流に
  堀川1000人調査隊2010

         活動の記録



  
  上流、下流が、お互いを励まし、応援しあってゆこう!

   第14回 木曽川と堀川・上下流をつなぐ交流会が開催されました。

     
日時  令和元年6月30日(日)

     会場  長野県木曽郡大桑村 あてら荘 

     主催  木曽三川がつなぐ山とまち インターネットフォーラム実行委員会
          堀川1000人調査隊2010実行委員会

     後援  国土交通省中部地歩王整備局 名古屋市 木曽広域連合 大桑村  名古屋都市センター
   

    ⇒平成30年12月の 第13回 木曽川と堀川・上下流をつなぐ交流会の様子はこちら

    ⇒平成30年6月の 第12回 木曽川と堀川・上下流をつなぐ交流会の様子はこちら
 

    ⇒平成29年11月の 第11回 木曽川と堀川・上下流をつなぐ交流会の様子はこちら

    ⇒平成28年12月の 第10回 木曽川と堀川・上下流をつなぐ交流会の様子はこちら

    ⇒平成27年11月の 第9回 木曽三川がつなぐ山とまち インターネットフォーラムの様子はこちら





江戸時代の木曽の切り株に打たれた刻印に似た、ハートの形をみんなでつくって、笑顔で交流会を締めくくりました。

下流から参加した人たちが寄書した旗は、大桑村の貴舟豊村長にお渡ししました。

大桑村の貴舟豊村長には
堀川応援隊の旗にサインしていただきました。


中日新聞 (木曽地域版) 令和元年7月1日(月)より



事務局より  令和元年7月2日

  令和元年6月30日(日)、第42回、木曽川と堀川・上下流をつなぐ交流会が、長野県木曽郡大桑村の
 あてら荘で開催されました。

  この上下流交流会は、平成19年4月から平成22年3月まで実施された、堀川への木曽川導水社会実験を機に
 木曽川上流部への関心が高まった名古屋市民と、木曽川上流部の市民とでつくる、
 「木曽三川がつなぐ山とまち インターネットフォーラム実行委員会」 そして
 「堀川1000人調査隊2010実行委員会」の共催で、ほぼ1年に1〜2回のペースで開催されてきたもので
 近年は、わかりやすくするため、「上下流をつなぐ交流会」という名称を使っています。


  この交流会の目的は、下流側としては、堀川の浄化のための地道な活動をしている名古屋市民が
 かつて実施された木曽川からの導水で、堀川がきれいになることがわかったため、何とか導水の復活を
 願い、木曽川などの上流域に堀川を応援してくださる人の輪を広げてゆくことがテーマとなっています。


  また上流側としては、地域の活性化のために、下流域に上流部を愛し、応援してくださる人の輪を
 広げてゆくことがテーマになっています。

  そして、上流と下流が、それぞれの魅力や悩みを理解しあい、応援しあう、Win-Winの関係を、ていねいに
 積み上げてゆくということを目的としています。


  また、この交流会のもう一つの特徴は、下流側は名古屋市、上流側は開催する町村役場と木曽広域連合という
 双方の行政が、市民と一緒になって企画、参加しているという、官民協働の交流会であるということです。

 
  この日も、下流側からは名古屋市の伊東恵美子副市長、上流側からは、大桑村の貴舟豊村町長が参加され
 市民と一緒になってフォーラムに参加していただきました。

 
  今回の交流会では、大桑村が誇る、あてら渓谷の散策を予定していましたが、あいにくの大雨で
 ふだんは、雨が降ってもほとんど濁ることのない阿寺川が、茶色い濁流となるほどの天候でした。

 そこで、急きょ予定を変更して、村内の宿泊施設、あてら荘にはいって、室内のみでの交流会となりました。


  交流会では、最初に貴舟豊大桑村村長から歓迎のお言葉をいただいたあと、阿寺の山に関して
 長年にわたって研究を続けられてきた、河口次利さん(91才)のお話をお聞きしました。


  河口さんからは、次のような興味深いお話をしていただきました。

  阿寺の山は、尾張藩2代藩主、徳川光友の隠居料として、一代限りの私有財産として光友に与えられ、
 その時に切った木の切り株に、刻印が打たれていた。

  それを発見して、東京の徳川林政史研究所に問い合わせたところ、元禄時代に切り出した木の切り株であることに
 ほぼ間違いないと推定されるとの回答をいただいたなどということでした。


  同研究所によれば、木曽の山が藩主の私的財産となった例は、阿寺以外にないとのことで、その切株に
 打った刻印と、その刻印が打たれた切株を、河口さんが会場にもってきてご披露いただきました。


  その刻印は3つ重ねて打つと、葵の形に見えること、ちょうどそれがハートを3つ重ねたように見えることなど
 非常に興味深く、参加者一同は、91才とは思えないほどしっかりした口調の、河口さんのお話にひきこまれて
 聞き入っていました。


  また阿寺渓谷の紹介ビデオをみたあと、現地でガイドをしていただく予定だった、4名の方に
 阿寺渓谷の見どころなどをご紹介いただきました。


  そのあと、6つのグループにわかれて、ガイドさん4名と貴舟村長、河口さんにそれぞれはいっていただき
 それぞれのグループで思い思いに歓談に花が咲き、交流を深めました。


  昼食をかねた休憩時間には、下流側からの参加者は、上流側に送る寄書に、それぞれがメッセージを
 書き込みました。


  また、あてら荘自慢の温泉を楽しんだり、少し雨が弱くなったので、阿寺川を見に行くのを楽しんだ人もいました。


  午後に再開したフォーラムでは、堀川1000人調査隊の人たちが名古屋で活動している内容を
 上流側の方たちにご紹介しました。


  また、つい先日の6月25日には、日本水大賞の表彰式があって、堀川1000人調査隊は、国土交通大臣賞を
 受賞し、私たちの活動が高い評価を受けている、ということも事務局からご紹介しました。
    
     ⇒日本水大賞の授賞式については、こちらをご覧ください。


  その後、昼休みに作成した寄書の旗を、下流側の市民を代表して、鯱城・堀川と生活を考える会の
 阪野輝夫代表から、大桑村の貴舟村長にお渡しいたしました。


  また、貴舟村長には、堀川応援隊に参加していただき、その記念に、堀川応援隊の旗にサインをして
 いただきました。


  貴舟村長には、私たちが熱望している、堀川への木曽川からの導水の再開について、ぜひ応援して
 いただきたいのですが、とお願いをしたところ、快くOKをいただき、大変うれしく思いました。


  フォーラムの最後には、切株に打たれた刻印のハートをイメージして、上下流の参加者一同が、
 両手でハートの形を作って、記念撮影しました。


  帰路は、道の駅おおくわに寄って、おのおの思い思いに木曽の特産品などの買い物を楽しみました。

 そのあと、南木曽町の福沢桃介記念館と山の歴史館、じゃぬけの碑を見学しました。

  
  今回の交流会は、天候にこそ恵まれませんでしたが、だからこそ、木曽川の濁流も見ることができました。


   また少し雨が弱くなると、阿寺川は、「あてらブルー」と呼ばれるきれいな色を取り戻し
  木曽川との合流地点で、くっきりと水の色がわかれる様も見ることができました。

   上流の皆さんの温かい心遣いに下流側の参加者は皆、感激していました。

  
   単なる観光バス旅行ではなく、交流を目的とした催しであったからこその様々な体験ができました。


   下流側の参加者一同は、木曽地域への愛着を深め、またぜひ個人的に天気の良い時に、
  「あてらブルー」を見に来たい、という声が多く聞かれました。
  
   上流から参加されたガイドの皆さんにも、私たちが堀川で活動している様子を知って感動しました、という
  お言葉をいただき、たいへん有意義な交流会になったと思います。




一行は朝7時15分に市役所に集合、2台のバスに分乗して
大桑村に向かいました。

途中、恵那峡SAで休憩をとりました。


バスの中では、木曽地域を紹介するビデオを鑑賞し、
木曽地域に対する事前の知識を深めました。




あいにくの雨で、あてら渓谷の散策はかないませんでしたが
室内での交流会は充実したものになりました。



あてら荘2階の、交流会の会場の様子です。




最初に、大桑村の貴舟村長さんから、歓迎のご挨拶をいただきました。

貴舟村長は、1年半前の冬、名古屋で行われた第11回上下流にもご参加
いただいており、今回が2度目の交流会参加になります。



次に、阿寺の山を長く研究してこられた、村長曰く、「阿寺の神様」、
河口次利さんのお話をお聞きしました。

河口さんは大桑村の野尻地区にお住いの91才です。



河口さんが会場にもってきてくださった、刻印のはいった切株です。


河口さんが執筆された阿寺山の冊子。


河口さんの執筆された冊子から、一部抜粋してご紹介します。

河口さんのお話の後には、本日、現地であてら渓谷をガイドして
下さる予定だった4名の大桑村の方々に、あてら渓谷について
ご紹介をしていただきました。

最初は、上田(かみだ)直子さんです。



次は、秋田県出身の、邑松(むらまつ)節子さん。








3番目は、このあてら山荘で勤務されている、半坂朱美さん。





4番目は、名古屋市港区出身の、上田(かみだ)律子さん。

それぞれのガイドの方々が、分担して阿寺渓谷の景観やみどころ、
植物などについて説明してくださいました。


そのあとは、6つのグループに分かれた下流側の参加者のテーブルに
4名のガイドさんと、河口さん、そして貴舟村長がそれぞれはいって
テーブルごとに思い思いの歓談を楽しみました。

上田直子さんのはいられたテーブル。


こちらは上田律子さんのはいられたテーブル。






河口さんがはいられたテーブル。


貴舟村長がはいられたテーブル。


半坂さんがはいられたテーブル。


邑松さんがはいられたテーブル。


11時30分には昼食の用意が整い、歓談を続けながら一緒に
食事を楽しみました。




食事中にも色々な話に花が咲きました。
雨が降って、時間が余った分、かえって交流がしっかりできた面も
ありました。



あてら荘で、ご準備いただいた昼食です。




お昼休みは、食事時間を含めて、約1時間半。

この間に、あてら荘自慢の温泉入浴を楽しむ参加者もいました。

また少し雨あしが弱くなったので、あてら渓谷の方に散歩にいく
人もいました。


下流側の参加者が、思い思いの言葉で、木曽の皆さんへの
思いをしるした寄書です。


再開された午後の交流会では、堀川1000人調査隊の皆さんが
名古屋の堀川浄化のために、ひびどんな活動をしているかを
上流の皆さんにご紹介しました。

また6月25日は、その活動に対して、日本水大賞・国土交通大臣賞が
授与されたこともご事務局から披露いたしました。


そのあと、お昼休みにみんなで寄せ書きした旗を、下流側参加者を
代表して、鯱城・堀川と生活を考える会の阪野輝夫代表から
貴舟豊大桑村村長に贈呈いたしました。





一方、貴舟村長は、堀川応援隊にご参加いただくことを快諾してくださり
その印として、堀川応援隊の旗にサインをしてくださいました。


村長がサインしてくださった堀川応援隊の旗を受け取る、
下流側代表の、名古屋堀川ライオンズクラブ、仲泊憲会長。


上流側の参加者を代表して、上田律子さんから、本日の感想などを
コメントしていただきました。

上田さんは、若いころ名古屋に住んでいたことがあって、堀川の
汚いころを知っているだけに、今の名古屋市民の努力で、
その堀川がきれいになってきていることを知って、感慨深いものが
あった、という主旨のお話をされていました。




最後に、貴舟村長と名古屋市の伊東副市長に本日の感想を
お話しいただきました。

貴舟村長からは、堀川の浄化活動や木曽川からの導水を応援して
いただけるというお話をいただくとともに、こうした上流と下流が
交流しながら、協力し合っていく関係を大切にしてゆきたい、という
主旨のお話をいただだきました。








下流側の名古屋市の伊藤恵美子副市長からは、こういう悪天候だったから
こそ、数々の貴重な体験ができたことに感謝し、これからも上下流の交流を
大切にしてゆきたいという主旨のお話をいただきました。


最後に、上下流の参加者一同が、木曽の切り株に打たれた刻印のハートをイメージして記念撮影。、笑顔で交流会を締めくくりました。


このあと下流側参加者は、上流の皆さんの見送りをうけて、あてら荘を出発。 道の駅おおくわ によって、木曽の特産品の買い物を
おのおの楽しんだのち、帰り道に、南木曽町の福沢桃介記念館と、山の歴史館をたずねました。



山の歴史館に展示されていた木曽の木材を切り出していた昔の写真。



これぞ、「ザ・木曽」というような写真がたくさんありました。



福沢桃介と、川上貞奴が、木曽川につくった7つのダムの現場監督のために
棲んでいたという福沢桃介邸。


福沢桃介記念館の近くには、かつて「蛇ぬけ(じゃぬけ)」と地域の人が
呼んでいる、土石流のあとを記憶するための記念碑がありました。


普段は、雨が降っていても、沢には透き通った水が
流れていました。


阿寺川と木曽川の合流する地点。

朝、大雨の降っていた時には、阿寺川も茶色い濁流でしたが
午後少し雨の勢いが弱くなるとすぐにグリーンに近いきれいな水になり
木曽川の茶色い濁流との差がくっきりとわかるほどでした。

こういう光景は、雨の中でも実施したこういう交流会でないとみることが
できないね、と参加者は口々に言っていました。











   おともだちを誘って、みんなでたいっぱい調査隊、応援隊を作りましょう。

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