堀川を清流に
  堀川1000人調査隊2010

         活動の記録



  「七里の渡しクルーズ特別調査隊」

      感想文・レポート集をご紹介します。

       日時  平成20年10月19日(日)
       場所  名古屋・納屋橋〜熱田・宮の渡し〜桑名・七里の渡し




 2008年10月19日(日)、特別編成の「七里の渡しクルーズ特別調査隊」32名が、
納屋橋〜熱田・宮の渡し〜桑名・七里の渡しのクルーズを体験しました。
    ⇒この様子はこちら

 特別調査隊から寄せられた、感想文・レポートの一部をご紹介します。


 七里の渡しクルーズに参加して           K. E. (女性)

 初めての堀川クルーズでしたが 岸から見た風景とはまた変わり
新鮮な気持ちで移り変わる川辺の風景をみて「堀川は変わった」と感じました。 

 私は40年前南区の七条町に住んでいた事があり其の頃は内田橋より下流は
両岸ともに大きな木材が係留され両岸は合板会社が密集していて汚いという
感じの地区でした。

 それが今回見た川岸は公園等が整備され大緑地となり一大変化し
また堀川には材木も少なく隔世の感がありました。

 又宮の渡しでは若い人達が多く参加して公園の清掃に活動されているのを見、
堀川を美しくしようとの活動の一環かとうれしく思う反面 まだ多くのゴミが
集められるのをみると、ゴミを捨てる心無い人がいる事を悲しく感じ
堀川1000人隊の活動をまだまだ広げなくてはと考えるところです。

 観光としてのクルーズとしては船中の説明も含め物足りなさを感じます。

 歴史に関心があり、堀川にあわせて関心のある人以外は3,500円を
払って参加するには もう一つ何かパンチのある企画が必要かと思います。




「宮の渡し」から「七里の渡し」へ             Y. S. (男性)

 気づいたことを羅列させていただきました。

 七里の渡しへの船路は、好天に恵まれ、快調な滑り出しでした。

 しばらくして、途中、何となく異臭に気づくと、左岸の工場地帯の排煙によるもので
工場側も当然、環境整備につとめているものの、この渡しには避けられない欠点の
ようです。
 (その日の風向きにもよるでしょうが)

 癒されたのは、ちょうど行程の中ごろ、伊勢湾と名古屋港の境の防波堤の手前で
海鵜?の大群に出会ったことです。

 海面にはかなりの魚群(ボラ?)がいて、それを狙って群れが集まったようです。

 皆さん、こぞってシャッターを切っていましたが、海鵜の大群は珍しかったのでしょう。
たぶん、いつも見られる風景ではないのが残念に思われます。

 魚が集まれば、えさを狙って鳥が集まる。
 海鵜のねぐらはいったいどこか?
 鳥害はないのか、等、気になりました。

 海洋汚染に始まり、生物多様性の一環を、ごく短時間に垣間見ることができたのは
感激でした。

 風景的には、両岸ともに工業地帯で殺風景ですが、降船手前の木曽岬の海苔養殖場、
その背景のナガシマスパーランドの遠景等はのどかで、売り込めそうな宣伝価値が
あるような気がしました。

 宮の渡し、七里の渡し、両拠点ともに最近整備されたところでしょう。
 到着したら、何をするのか、どう行動するのかが問題です。

 当日、桑名方面よりのお客は、美術関係の団体のようでしたが、適当に名古屋見物を
されたことでしょう。

 名古屋組は、降船後、半数はボランティアによる桑名市内観光(1時間くらい)、
我々3名は、寺町通りの縁日(本統寺、一般的に毎月八の日)を見物し、
「貝新」で買い物し、早々にJRで帰名しました。

 ここの貝新のあさりの佃煮は、どちらかといえば浅炊きで品数も多く、旨く
買い入れて帰っても好評です。

 降船後の行動派、2〜3回来たものには見物先も限られ、更なるリピーターを
生むにはそれなりの魅力が必要だと思います。

 両拠点には、はっきりわかる道路標識がない、(例えば宮の渡しから徒歩で熱田神宮へ)
とか、(七里の渡しから近鉄駅へ・・・等)、また落ち着いて一服する場所も狭く、
手軽に買い物する場所もない、そして昔を偲べるような雰囲気に乏しい、等。

 勝手な御託を並べました。お許しを。

 宮の渡しから最終行き先は、七里の渡しではなく、お伊勢さん。
何か段々と近づくにつれ高揚する気持ち、そのへんのワクワク感を味わえるような
工夫が必要。
(昔は皆、あったと思います)

 船内では、伊勢音頭(他でも可)、時間を忘れさせ、退屈を感じさせない面白おかしい
語り手による道中説明等、何か今の伊勢のおかげ横丁の雰囲気も借りて生かし、
伊勢参りにつながるような企画ができればなあと思いました。





名古屋堀川ライオンズクラブ ご担当様           K. K. (男性)  T. K. (女性)  夫婦

 過日は思わぬ体験をさせていただきありがとうございました。
堀川をこのように見たこともなく、認識を新たにいたしました。

 何も皆様の活動をしりませんが、こんなことが出来たと思い、下記にいたしました。
当たり前のことで申し訳ありません。

 1)水辺
    清掃はまわりの人たちを巻き込んでのことですが、水質への関心を高めるために
    透可視の深さを表示、もしくは具体的に見ることの出来る場所の設置を、人の
    集まる場所に。
    (たとえば納屋橋周辺など)

 2)岸辺
    橋と橋の間の特色、景観の紹介
     
     植樹等の整備

     春の桜の花見

      空きの紅葉・黄葉

 3)橋辺
     橋の特色、橋の上、橋の下、時代特色の紹介

 4)運航
     季節の定期運航の是否

   ※メディア各社への積極的アプローチを望みます。
   



名古屋堀川ライオンズクラブ様                  T. H. (女性)

 「えー! 『七里の渡し』  堀川を納屋橋から船でええー。臭くないの?」

 「今は堀川を守る会があり、きれいになったそうよ」

 堀川といえば、かつては汚い、臭い川で、納屋橋の上に立っただけで異臭がしていた。
そんなイメージの残る堀川の舟旅。

 10月19日に興味津々で納屋橋桟橋へ行く。
 イタリア村で乗ったゴンドラが浮かび、異臭もない。

 「天気晴朗にして、風も波もなし」

 かつて春の旅で、大阪城の川べりから舟遊びをした。
川は美しく、両岸の桜も満開で、川から眺める大阪の街も美しかった。

 そんなイメージで屋形船にのる。

 しかし、川岸の整備はいまひとつ。

 今にも崩れそうなコンクリート壁、捨てられている電化製品のごみ等。
聞けば私有地も多く、川辺いっぱいまで民家が建っていて、護岸工事も
ままならぬとか。

 「都市計画」100年、いやもっと先をみての計画の大切さを痛感した。

 熱田の「宮の渡し」でトロワリビエール号に乗り換え、桑名の「七里の渡し」まで
往時をしのぶ舟の旅。

 ゆったりくつろぎ、おやつ、お弁当、おしゃべりを楽しみ、デッキへ出て、
心地よい風にふかれて、まわりの景色を楽しむ。

 名古屋港では大きな外国船が多く見られた。

 名古屋港って大きいのネ、港を出るとすぐ、長島スパーランドが見える。
そしてその横をグルリと回って木曽川を上り、桑名の「七里の渡し」着。
所要時間、約2時間30分。

 その昔、歩く時代の旅人にとって、舟は楽な手足をのばして疲れを癒す
楽しみなところであったと想像できる。

 ○往路の船旅、納屋橋から「宮の渡し」 桑名「七里の渡し」 3時間。

 ○復路はJR桑名駅から名古屋駅まで30分足らず。

 名古屋に着き、喫茶店でおいしいコーヒーで今日の楽しかった旅をしめくくった。

 お世話をしていただいた皆々様、どうもありがとうございます。




                                        Y. I. (女性)

 友人に、「納屋橋から船で宮の渡しへ行き、そこで大きな船に乗り換えて
桑名の七里の渡しまでのクルーズ」と誘われ、参加いたしました。

 名古屋で生まれ育った私ですが、堀川クルーズを体験できるとは思っていませんでした。

 堀川といえば、汚い、臭い、としか記憶にはありませんでした。

 ところが、動き出した船の窓からは、心地よい風が吹き込み、嫌なにおいも感じることは
なく、目に映る窓外の景色の中に塵は見当たりませんでした。

 ただ、川沿いは建物あるいは駐車場が目立ち、お世辞にも景観は美しいとはいえませんが
いずれは遊歩道の計画もあるとのこと。

 やがて宮の渡しに近づくにつれ、樹木や草花もあり、葦もところどころに植えてあって
追々と増やす予定との説明を聞くうち、宮の渡しへ着いた頃には、乗船する前の
イメージがすっかり変わっておりました。

 思いがけない、大変楽しいクルーズを味あわせていただきました。

 皆様のご苦労を感謝いたします。
 ありがとうございました。




 感想文                    H. S. (男性)

 このたび、名古屋堀川ライオンズクラブ様から、このような機会をいただき
ありがとうございました。

 以前、あるグループで、観光および懇親の目的で、屋台船で一杯やりながら
納屋橋から宮の渡しまで堀川の往復を楽しんだことがある。

 その頃は、船の中で飲み食いすることが目的で、周囲の景色がどうであるかは
気にかけなかった。
 しかし臭いは気になったものである。

 今回は、「鯱城・堀川と生活を考える会のメンバー」ということもあり、観光だけでなく
堀川の様子がどうなっているかという意識を持って臨んだのであるが、堀川の
川沿いには、かなりゴミや雑草が多く、将来観光としての役割を考えるなら、周辺の
整理がもっと必要であろう。

 説明をいただいたボランティアの方もそのことに触れられていた。

 大変であると思うが、場合によっては1000人隊で水質の調査以外に、日を決めて
一斉に清掃のボランティアをやってみるのもよいであろう。

 宮の渡しからはいよいよ桑名までの船旅である。幸いにして、気候条件は最高で
途中でうとうとすることもあった。

 船の揺れに敏感な渡しは、波の心配をしていたが、ほとんど船はゆれることもなく
目的地に着いた。

 途中、名古屋港でのカワウの群れに、船が突っ込み、カワウが一斉に飛び立つ
姿は圧巻であった。

 2時間ほどで桑名の街が見えてきた。
 江戸時代の東海道では、街道唯一の海路である、ということも説明されていた。

 昔は4時間はかかったようであるが、28キロ弱を歩けば7時間のところであるが
時間が短縮され、ずいぶん助かったのではないかと思う。

 終わってからは、桑名の寺町を見学して帰った。



 
 七里の渡しクローズに参加して     T.O. (女性)
 
 年寄りには舌を噛むようなトロワリヴェール号に宮の渡し(熱田)から
七里の渡し(桑名)まで、乗車しました。

 トロワリヴェール号は定員35名の小船で、揺れが相当なものと
聞きましたが、好天に恵まれたためか波は静かで快適でした。

 速度は自転車で走るスピードで、時間と言う数字に動かされて
いる現在社会を忘れ、昔にタイムスリップした錯覚になり、ゆったり
時を過ごすことができました。

 デッキに出ると気持ちのよい潮風が頬をかすめ、つい年齢を忘れて、
タイタニックの主人公になった気分で両手を広げてしまいました。

 運行海路は埋め立てより、昔の七里から十里にと迂回しますが、
船窓は低く大きく湾に注ぐ河口堰の河川等など移り行く景色が見られ、
どこまで行っても海原と言う感じはありませんでした。

 よく言えば、河口堰の近くまで船を近づけ、天気の状態によりますが、
荒れ狂うナイアガラの滝、あるいは広大なナイル河を、責めて連想できる
スリルがあればとの欲望が募ります。

 夏には海から見るナガシマスパーランドの花火が格別だと聞きました。

 来夏は再度乗車して楽しみたいと今からわくわくしています。

 又、桑名藩船奉行から乗車した記念に名前入りの格好良い手形を
頂きましたが、小型の木製であればストラップとして利用したいと
考えるところです。

 ありがとうございました。



七里の渡しクルーズ乗船 感想         K.K. (男性)


 10月20日は好天に恵まれましてはじめての七里の渡し乗船は
楽しい体験ができました。有難うございました。

 乗船の感想と案内にもありました観光資源としてのクルーズ乗船に
つきましておもいつくままに書かせていただきます。

 先ず、納屋橋から宮の渡しまでですが、護岸整備が不十分にて、
コンクリートの壊れたままの状態、木草の乱雑な生い茂り、一部
枯れたまま放置されたものが折角の両岸の景色も損ないます。

 白鳥公園付近の整備された公園、両岸の歩道橋では人の散策の
様子も見受けられます。

 護岸整備、両岸の歩道橋整備により人も集まり散策、
堀川〜宮の渡し〜旧東海道とのウオーキングルートのプランニングも
可能になるものと考えます。

 堀川を背にして港へ下り、トリトン大橋の川側からの眺め、橋げたを
通しての眺望、川下側からの景色、橋とのマッチングはそれぞれに
観るべきものがあると思われます。

 ここを拠点とした、景観(休息)地、イベントなど(例えばミニ水族館)も
一考かと思います。

 たまたま出くわした橋と海鵜(ウミウ?)の飛び立ち、乱舞は息を呑む
感動がありました。

 ウミウの常時待機は無理かと思われますが、ビデオ紹介などは
先ずは船内にても一見の価値あるものの一つと感じます。


 名古屋港内の様子は海運業務上位を想わせる無機質な
大型クレーンの乱立など、初めて見る者には、異様さが感じられ、
工業県経済圏優位の中部圏としてはやもうえない、また象徴かとも
想いましたが、中部電力火力発電所の周辺の緑の木々にホット
させられる感慨の自分も確かでした。

 せめて前例のトリトン大橋付近での休息地に緑の木々のある
オアシスとする方法もあるような気がします。

 桑名七里の渡し付近は、船着場及び周辺公園等の整備がなされて
おり、納屋橋側から行った者にはまさしく“雲泥の差”に驚き、やれば
出来るの感じも強くしました。

 長島スパーランドへの“桑名駅〜船”ルートが既にある?のかなと
想像しながら、桑名駅までの広く整備された歩道にも感心しまして
帰途につきました。

 最後に、今回のクルーズがもう少し知名度を上げる、親しまれるには、
船足を速め約半分位に時間短縮が望ましく、それで前後のルートにも
時間が稼げるかと考えます。

 せっかちな現代人の一人としましてご参考までに。

 クルーズ体験に参加させて戴き有難うございました。



 「10/19 七里の渡しクルーズ」特別調査隊報告    K.I. (男性)
                        
【観光化へ向け全般的な感想と提言・提案】

前略
 別紙の写真の解説(概要)ページに「七里の渡しクルーズ」を
観光資源として活用するための課題と解決案の一部を示しましたが、
「七里の渡しクルーズ」を本格的な観光事業にするにはまだ数多くの
課題が潜んでいるものと思われます。

 人、物、金の視点で言いますと「人」ではガイドほかサポートする
ボランティア組織等の必要性、「物」では施設・設備整備、解説書、
パンフレットの作成等「金」の面では観光事業として一過性のものでなく
永年に亘り定着させるためには膨大な資金が必要で、多岐に渡る多くの
スポンサーが必要で、相当大きなパワーがないとこの事業は実現すること
が出来ないことを痛切に感じました。

 しかし、この地域の産業や名古屋港、伊勢湾の景観のすばらしさも
実感することができましたので、これを実現するためには「産業観光」、
「歴史観光」、「科学観光」「遊び」等複合した観光開発ポイントを組み
合わせて全体のシステムを構築することで、“大変面白い観光資源開発”が
できそうな気がしました。 

 スポンサー、学識経験者、サービス業などから多くの専門家の意見を募り、
総合的に考え、一例として旧東海道に興味を持って歩いている人に声をかけ、
年に数回「七里の渡しクルーズ」企画募集を行い、ガイドなどのリハーサルを
繰り返し行い、最善の方法を創り上げていくことも重要であるものと考えます。

 「観光資源の発見と開発」に必要なキーワードは「安心・安全」、
「自然環境(CO2削減)」、「災害対策・救助」、「福祉」、「海上から見た景観」、
「こどもの教育」などがあろうかと思います。

 今回の「七里の渡しクルーズ」の体験で多く感動できるものが見つかりました。

 人は育った環境、体験の違い等により興味を持つものがそれぞれ違うので、
観光資源開発は大変難しいことも分かりました。

  しかし、「人は感動することで生きがいを見つけていける」ということを
実体験でき、観光資源開発の面白さも分かった様な気がしましたので、
私にとって大変有意義なことであったと思います。

 西暦2010年は名古屋・世界にとって特別な年となる。 名古屋城・堀川の
400周年、COP10(生物多様性に関する国際会議)の愛知・名古屋での開催年。

  従って、先ず人と「人以外の生物」を熟知することが重要。 

  そして過去に人がいかに「人以外の生物」を犠牲にしてきたかを反省し、
今後、「世界の人のより良い生き方」を考え、「未来の人のため、大きな
負の遺産を残さない」様、最大限努力していく「生物多様性元年」の
すばらしい年になることを学びました。

 観光船から見た「堀川」と「多くの橋」、「名古屋港」、「伊勢湾」、「人工島」、
「長島温泉」、「飛行機」、「桑名の港」などは人工の構造物が非常に多いですが、
名古屋港管理組合等の努力のおかげで緑も多く「美しい自然との調和」した絵に
なるポイントが数多くあることを感じることができました。

 今回行われた「七里の渡しクルーズ」が大きな観光資源とするためには、
先ず日本全国へ「生物多様性元年」に関連した愛知・名古屋のPRならびに
名古屋港、伊勢湾に生息する魚・海草・藻類・虫・鳥、人体有用微生物、
人体有害微生物等々「人以外の生物」の現状把握のための観察・観測強化に
より、人と人以外の生物が共生する「正常な自然連鎖」を維持する方法を皆で
確立し、このことを全世界へ発信し続けていくことがこの地域の人に与えられた
役割であることを痛切に感じました。 

 理解の深い「堀川1000人調査隊の皆様と一緒に社会の役に立つ行動を
実施してまいりたいと存じます。

 (一例として大学等の研究者・学識経験者がコーディネートを行い、
「日本野鳥の会」等が鳥類の観察と保護活動を通して意見を述べ、
それぞれの生物ごとの専門研究者も一堂に集まって意見交換を繰り返し、
1年以内にまとめを行う等)


今回の特別調査隊のお仲間、お世話をいただいた皆様、堀川1000人調査隊の
皆様ほか関係者の皆様に心より感謝いたしております。 

今後とも何卒よろしくご指導程お願い申し上げます。



 
 宮の渡し〜七里の渡しクルーズの感想文    R.U. (男性)

1.納屋橋〜宮の渡し (堀川)

 約30分の乗船であったが、川幅が狭いため、船から見える範囲が狭く
景色はほとんど護岸、岸壁のみであった。

 昔の堀川のイメージは全く無く、ゴミ少なく、臭いはほとんど気にならない。

 水色はよく、大きく改善され、整備が進んでいる感じがいたしました。

 しかし、観光資源として堀川を考えた場合は問題も多くあり、現時点では
観光船としての運航には無理があり、市バス代わりの運航かと思われます。

 岸壁はドス黒く(干潮時には特に)、見た感じが非常に悪い。

 また、岸上は、納屋橋、白鳥あたりは整備が進んでいるが、少なくとも
船が走る朝日橋〜宮の渡し間全域にわたり整備が必要かと思います。

 (1)岸壁ドス黒色の一掃
 (2)両側岸部の植樹、公園化
 (3)堀川川を向いた飲食店等、イベント設備等の配置
 (4)岸上に建てられている材木店、民家の移転等
の以前から言われている対策で巣が、市民が集まる街づくりが先決と
思います。

 どれひとつとっても、時間とお金がかかりますが、におい、水色が改善されて
おりますので、とりあえずは見た感じを良くしたい。


2.宮の渡し〜七里の渡し
 
 今回の船旅は、晴天、無風、無波という、これ以上もないコンディションに
恵まれ、船酔いを心配していた小生ではありましたが、無事七里の渡しに
付くことができました。

 昔は4時間とのこと、今回は2時間30分と、あまり変わらない長い船旅
でした。

 道中、名港中央埠頭の南極観測船富士、金城埠頭の自動車積み込み
飛島のコンテナ埠頭、弥富、木曽岬、長島スパーランド、桑名蛤の養殖、
知多半島側には、名古屋南部工業地帯の新日鉄をはじめとする重工業地帯が
展望でき、平生では見られない光景が続き、時間も忘れてものめずらしく見る
ことができました。

 また、飛島沖では海鵜、魚(ボラ)の大群に出会い、生存競争の厳しさに
感動いたしました。

 毎日このような光景が見られれば、これだけで観光資源に十分なりうると
思います。

 七里の渡し到着後の九華公園は、今は何も無く、桜のシーズンには
ひとつの観光地にはなる。
 六華苑は、大正初期竣工の重要文化財の洋館は圧倒的な存在感があり
一見すべき価値はありました。

 今回のクルーズが観光資源となるか否やは
(1)船時間が少し長い
(2)観光ガイドをつけること
(3)桑名側に観光資源がどれだけあるか
の問題点もあるが、名古屋⇒七里⇒桑名散策⇒名古屋の一日コースで
十分になりうると思います。

 

 
                             Y.Y (男性)

 秋の一日、トコトコ東海道・七里の渡しの桑名の宿まで、船旅2時間30分あまり
私自身は2度目の体験ツアーでしたが、当学科の生徒は初めてで、最後まで船上
デッキで海風にあたった人もいました。

 私も堀川ライオンズさんとのかかわりによって、堀川浄化に少しでも役立てばとの
想いが出来ました。

 名古屋港内クルーズで、宮の渡しから船上にて、港の発展、名古屋港の埋め立てに
よってできた土地利用、大きい輸送船などを見ながらの旅。

 堀川まちネットの資料、江戸時代の海路、平成の海路と熱田から万場の渡し、
佐屋街道・佐屋から桑名へと、七里の渡し、十里の渡し、現在はといえばどうですか、
十五里くらいですか?

 頭上に横切る道路の大きいこと、伊勢湾岸自動車道路と巨大なコンクリートの固まり。

 のんびりと船旅にと、最後の桑名宿へとゴール?

 九華公園、六華苑(旧諸戸清六邸)へと散策、当日しないで桑名の殿様・御台所
まつり千姫行列に出くわしました。

 海蔵寺へと、観光立地へと、昼食も「風流うどん店」、歌行灯での「泉鏡花」原作の
いわれの店で昼食と、街並み散策は非常に活かされるべきと思います。

 通行手形の交付、スタンプラリーとによる、堀川クルーズ・桑名の渡し、限りない
発展を希望します。

 よき体験、鯱城学生とも再度経験したいと思います。

 ありがとうございました。




                             A.O. (男性)

 堀川と私は大変関係が深い。大げさに言えば心の故郷ともいえる存在です。

 説明します。五条橋と伝馬橋の中間に中橋という小さな橋があります。
この橋を東へ坂を登り、100mほど言った右側が私の生家です。

 私の家は呉服商で、よく繁盛していました。

 私はここで生まれ、昭和20年3月19日の空襲で焼け落ちるまでここに
住んでいました。

 したがって、子どもの頃は、よく堀川へ遊びに行っていました。

 当時堀川は、材木商が立ち並び、川にはいかだが一面に浮んでいました。
水の色は、現在のようなどす黒い汚い川ではなく、淡ズミ色で、表面は澄んでいました。

 そして筏のすきまからは、小魚が顔を出していました。

 さて、標題の今回のクルーズの件ですが、私は以前からこのコースには
興味をもっており、今回の貴クラブの企画に参加でき、念願がかないました。

 当日は天気にも恵まれ、風も無く、波も静かで、本当に航海日和でした。

 本企画に参加された関係者の皆様に心より御礼申し上げます。


 追記

 当時の堀川の思い出をひとつ紹介しましょう。

 当時、伝馬橋西岸には、糞尿運搬船が接岸し、馬車やリヤカーで、
周辺の民家から汲み取ってきた糞尿の丸い桶を、人夫さんが天秤棒で
かついで船に運び込み、船庫に搬入していました。

 周辺は、臭気プンプン。

 一方、橋の上では屋台のふかしパン屋が店を出して商いをしていました。

 近隣の評判はよくて、よく売れていました。

 この橋の上としたの奇妙な取り合わせが印象的で、いまだに記憶しています。









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